artisans tw map artisans-w tobl-w artisans-b2 arw_suscribe fb logo_elm01 logo_elm02 play shop symbol_l symbol_r symbol tobl-b tobl

Interview 2017.9.11
Maedamokugei Koubou・Atelier m4
前田木藝工房・アトリエm4

Maedamokugei Koubou・Atelier m4

Photographs MoviesSatoshi Hamano

TextTomoko Yanagisawa

江戸指物 前田木藝工房・Atelier m4

 長野県・松本市街から30分ほど車を走らせた高原に、前田木藝工房・アトリエM4の工房はある。ここは、「Qualita」のものづくりを支え、私たちが “先生”と呼び、心から慕っている前田純一氏が主宰するアトリエだ。
 前田さんは、1948年東京宝町生まれ。現在は銀座にもほど近い繁華街として栄えるが、当時は職人が多く暮らしていた。
「私の祖父・南斎が、桑樹匠(江戸指物師のうち、特に伊豆七島 御蔵島産の桑を扱う指物名人のみに許される呼称)として宝町に工房を開いたんです。このあたりは江戸時代に幕府が職人を神田や日本橋界隈に呼び寄せたて、手工業を発展させた町。伊豆稲取生まれの祖父は下田で修業したあと、上京したんですね」
 その後、南斎は、江戸指物の秀でた職人として頭角を現し、東京大正博覧会や平和記念東京博覧会、フィラデルフィア万国博覧会では金賞を、パリ万国現代装飾美術工芸博覧会では名誉賞を受賞。
「指物は、板と板、柱を組み合わせて造る箱や棚、卓などのことをいうんです。華やかな京指物にたいして、武家文化である江戸は装飾は少なく、すっきりとしているんですよ」
 父・保三も2代目として多くの内弟子を持つ名人だった。時代は高度経済成長のまっただなか。オフィス家具製作会社に勤務していた前田さんは、デザイナーとして仕事に邁進していたが、大量生産・消費が当たり前だった世の中とは真逆をいく父の仕事の魅力に気付く。26歳のときに父に師事することを決意し、3代目として技と心を磨いたという。

“「北の国」からを見て9歳の息子がうちは現実!って言ってたよ(笑)”

よりよい制作環境を求めて宝町から鎌倉に引っ越しをしていた前田さんが、長野県へ移住したのは1984年。松本界隈をくまなく見て回り、目の前に迫る山の美しさ、開放的な雰囲気が気に入ったのが三城という地域。別荘地ではなく、昔から細々と農業を営む小さな集落だ。弟子たちとともに森の開墾からはじめ、自宅、アトリエもプロの手を借りながらのセルフビルド。そうして、鎌倉にのこしていた家族を3年越しで呼び寄せたという。
「リビングに大きな窓があるんだけど、なかなか窓ガラスが入らなくてね。やっと入って暖かくなったのがクリスマス。当時、『北の国から』っていうドラマが人気だったでしょ。そのとき9歳だった息子がそれを見て、うちは現実!って、よく言ってたよ(笑)」
 その9歳だった息子・大作さんも今や40代。4代目を継ぐとともに、地元の木、信州カラマツを積極的に取り入れ、「paddle」というシリーズ名でダイニングテーブルも作る一人前の工芸家だ。

“松本の三城には何もない。何もないから自分たちでやるしかない。”

 手つかずの自然が多く残り、何をするにも自分の手を動かさねばならない三城での暮らし。
「その頃は、都会ではお金があればなんでもできる、っていう時代でしょ。でも、ここは何もない。何もないから自分たちでやるしかない。このあたりの人々の創意と開拓精神には感動させられましたよ」
 ここでの時間が、前田さんの価値感と作風を大きく変えた。指物師として数多くの伝統工芸展に入賞し、作家として知られる存在ではあったが、作品は飾り物ではなく暮らしの中にとけ込むようなものを作ろう、と模索を始める。そこで生まれたのが、木と金属やアルミなど異素材を組み合わせた家具。この家具シリーズは評判を呼び、今でも前田さんの作品の中心である。
 その一方で、やはり指物師の3代目として作らねばならない、と取り組んでいるのが「厨子」。厨子とは、古来より大切なものをおさめておく箱のことだ。
「仏壇も厨子に含まれるんだけど、もともとは厨房ということばがあるように、台所においてあったものらしいんです。台所とは命あるものをおさめておいてありがたくいただく、という感謝を込めた場所だったと僕は考えているんです。現代の生活では、祈る場所ってあまり家のなかにないじゃない。お仏壇や神棚を置くような場所もない。やっぱりね、亡くなった人たちっていうのはみんな神様になって見守ってくれていると思うんだよね。どんな宗教を信じているかは別にして、祈るということを僕たちはしていかなければならない。人はずっと何かにむかって祈ってきたんだから。祈りの対象となるものは、絵でも写真でもいい。何もなくて、手を合わせるだけでもいいのかもしれない。何でもいいと思うんですよ。でも、大切な人を思い返すときにそこにお像やお厨子があったら、亡くなった人も、僕たちも安らげる場所ができるよね」
  なるほど。この言葉で合点がいった。前田さんの生み出す厨子の扉には、指物の高い技術とモダンなデザインにたいして、少し不似合いなほどかわいらしい星の取っ手がついているものがあった。この星の取っ手には、亡くなった人が見つけやすいように、との心配りがあったのだ。
 
「飾りではなく、暮らしにとけ込むもの」。かつて前田さんが目指した作品の本質。それは、この厨子にも存分に生かされている。

ARTISANS 関連商品