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Qualita
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2018.4.29

Qualita my style vol.01 − 厨子のある暮らし −

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Qualita my styleとは、ご購入者様のお話しを素に、その後Qualitaの製品がどのようにして日々の暮らしの中で使用されているのかを再現した物語です。

 

私は定年後妻と二人、自然豊かな場所で静かな田舎暮らしをしている。

暮らし始めてから随分と長い年月が経ち、半自給自足の生活もようやく様になってきたと言えるようになってきた。

 

今日は早朝から今晩の晩飯を手に入れるため、家から数キロメートル歩いた所に流れる源流に釣りにきている。狙いは岩魚《イワナ》である。

 

岩魚は、名前の通り非常に警戒心が強い魚で、普段は川に沈んでいる大きな岩の隙間に隠れている。虫や小魚を捕食する時だけ水面に姿を現わす。ちょっとした物音や人影が水面に映り込むだけで、釣れなくなってしまうのだ。

 

私は、岩魚の棲むポイントに到着するとすぐには釣らず、腰を据えて一服する。

 

そうする事により人の気配をかき消す。それと同時に自身の肌で自然を感じとるのだ。タバコの煙で風の強さや風向きを知り、日照りや雨による水量の増減などで変化する川の流れを読み取るのである。

 

私の釣り方は、テンカラという釣りで毛針(釣針に鳥の羽を巻きつけ、空を飛ぶ羽虫に見せかける)を使った釣り。岩魚や山女を狙うには、狙ったポイントに確実に毛針が流れていくようにキャストしなければならない。

少しでも、毛針の着水がずれると、水の流れに乗らず自然な形でポイントに流れていかない。警戒心の強い岩魚は不自然な動きをする獲物には喰らいつかないのである。だから風の動きと水の流れを知ることは、とても大事なのです。

 

 

 

まずは、1匹目を釣り上げた。一度釣り上げてしまうとそのポイントでは残りの岩魚は釣れない。早々にポイントを移動し、手際よく目標の3匹を釣りたい。

いくら好調でも私は一度決めた数しか釣らない。自分が生きていくために必要な数だけ釣ると決めているからだ。無駄な殺生はせず、自然を守っていく事も田舎暮らし半自給自足の掟なのである。

 

 

 

目標の岩魚3匹を釣り上げ足早で自宅に戻ると、庭にある竹薮から竹を切り出し、岩魚を焼くための竹串を作る。年々上手くできるようになり、「自分で出来ることは自分でやる」という楽しさが生まれてきた。

 

 

 

下準備が整い、釣ってきた魚を焼く準備ができた。これは私が小さな頃から家にある年代物の火鉢である。柿の木で作られ、釘やネジなどを使わずに組み上げる指物の火鉢で、私のお気に入りだ。

 

そして、その脇にあるのが最近新しく購入した厨子。Qualitaが販売する前田木藝工房 前田純一氏が手掛けた厨子と位牌である。

厨子は、錆びた鉄と銘木を使った台座。背面の銘木にはアート的な感覚で金箔が施されている。位牌は、銘木の札板と金箔が施された金属の台座で作られ、前田純一氏自らに《先祖代々之霊位》と書いていただいた。

 

作りは非常にシンプルだが、シンプルなだけに非常に一つ一つ前田純一氏のこだわりが見えてくる。

 

 

そして私は、釣ってきた魚をこの厨子の前におき《命を頂く》という感謝の気持ちを込め、日々手を合わせている。

 

 

 

では、引き続き魚が焼き上がるまで暫し話をしよう。

 

私がこの厨子を購入したきっかけとなったのは、Qualitaのサイト内にあるOur Pertners(工房紹介)前田純一氏のインタビュー記事を読んだ事から始まった。

 

 

1つ目は・・・

“松本の三城には何もない。何もないから自分たちでやるしかない”という言葉が

田舎暮らしを始め「自分で出来ることは自分でやる」と、決めた私と共通する部分があった事。

 

 

2つ目は・・・

「仏壇も厨子に含まれるんだけど、もともとは厨房ということばがあるように、台所においてあったものらしいんです。台所とは命あるものをおさめておいてありがたくいただく、という感謝を込めた場所だったと僕は考えているんです。現代の生活では、祈る場所ってあまり家のなかにないじゃない。お仏壇や神棚を置くような場所もない。やっぱりね、亡くなった人たちっていうのはみんな神様になって見守ってくれていると思うんだよね。どんな宗教を信じているかは別にして、祈るということを僕たちはしていかなければならない。人はずっと何かにむかって祈ってきたんだから。祈りの対象となるものは、絵でも写真でもいい。何もなくて、手を合わせるだけでもいいのかもしれない。何でもいいと思うんですよ。でも、大切な人を思い返すときにそこにお像やお厨子があったら、亡くなった人も、僕たちも安らげる場所ができるよね」

 

という前田純一氏の言葉に共感した事。日々暮らしている中で、私たちは生きていくために他の命を奪って生きている事を忘れてはいけないという事。

 

その意味を田舎で暮らす事で自らが実感したことにより、私はもっと身近に祈るものが欲しいと思った。

 

 

 

現物を見ずに、《ネット通販で厨子を買う》という事に対し、私には一切不安はなかった。

 

家には先程紹介した火鉢の様な指物の家具がいくつかあり、指物のクオリティーを知っている事と、三代目江戸指物師の前田純一氏の作品である事。だから間違いは無いという安心感があった。

 

注文してから数日後、厨子が届いた。

届いたダンボールを開封すると、前田純一氏のサインが入ったとても素敵な箱が姿を現した。まるで大物の岩魚が姿を現した時の様な興奮した気持ちになった。商品を開封する前から、良い歳をした老人がワクワクしてしまった。

 

 

改めて、今一度写真を見て欲しい。

 

70年以上もの年月が経ち、古びてそれなりの味が出てきた火鉢とその上に置いた、今日届いたばかりの新品の鉄錆の厨子。写真でもお分かり頂ける通り、違和感が全く無い。

 

元々家族で集まって食事をする場所に、お仏壇の代わりになる物を置きたいと思い、火鉢に合う物を選んだのだから当たり前なのかも知れないが、普通新品の物としばらく使い込んだ物とではどうしても差が出てしまうものである。

なのに、この鉄錆の厨子は新しいのに、すでに味がある。

 

今までで、新しい物に味があると感じた事は人生で一度もなかった。

その道を極めた者が作り上げた作品とはこうなるものなのか・・・

私は、火鉢の上に置いた厨子のビジョンに暫し見惚れてしまい、危うく魚を焦がしてしまうところであった。

 

この厨子は、とても小さく片手で持ち上げて軽々と移動できる。たまには寝室の方に移動したりもするのだが、寝室は和室ではなく、比較的新しい今風の洋室の部屋だ。なのに、何故か白い壁の新しい部屋にもシックリと馴染むのである。これには正直とても驚いた。

 

【古い物】と【味がある物】とは、別物だという事を改めて実感させられた。

つまり、【良くできた物】とは、いつの時代もその姿を変える事なく存在し続ける事ができるという事だ。

 

 

話をしているうちに、部屋中に香ばしい香りがしてきた。

こちらも、なかなか味のある出来栄えに仕上がってきた。

 

今日は休日で丁度息子が孫を連れて帰ってきている。孫は、まだ4月だというのに腰まで水に浸かり、下の河原で川遊びをしている。元気なものだ。

 

息子は、家の竹藪で一日筍掘りをし、その間で魚を焼くための炭を薪で作ってくれた。

 

 

噂をすれば、もう匂いにつられて孫が2階から降りてきた。

我が家は、時間がある時は必ずみんな揃って夕食をする。

今ではメンバーが変わったが、私が子供の頃、祖父・祖母・父・母・兄弟揃って食べた夕飯と同じ光景が今でも続いている。

 

大型のお仏壇から小さな厨子に変えた事で、皆が集う場所に置ける様になり、亡くなった父も母も、今のこの光景の中で共に過ごせている様な気がします。

 

言い方が大袈裟だが、我が家でも前田純一氏が三代に渡り伝統を引継いできた様に、我が家の仕来りとして、この光景を息子に〜 そして孫に〜 と繋いでいってもらえたらと思っている。

 

おかげさまで、これからもとても良い毎日がおくれそうだ。

 

 

 

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